最後の将軍徳川慶喜の苦悩増補改訂版あとがき

増補改訂版 あとがき
  歴史上の人物の評伝を書くとき最も大切なことは何か?それは言うまでもなく事実に忠実なことである。小説ではないのだ。事実を外すことは許されない。しかし事実を淡々と述べるだけならそれは単なる記録に過ぎない。書いた物に血が通い、読む人に納得してもらわなければ意味がない。ではどうすれば血が通うのか?
 やはりその人物の立場に立って、「一緒に悩み、時には一緒に喜ぶ」ことではなかろうか?勿論、慶喜公は(拙書の)タイトルの通り「苦悩」の方が多かったであろうが。
 だから、いくら客観的に書いてもその人を好きにならないと血が通った物は書けないのではないか。筆者は事実を外さないようにしたつもりである。しかしそれだけでは何も書けないし、何よりも書くエネルギーが生まれて来ない。
 筆者は素人なのでプロの学者の手法は知らない。しかし慶喜ファンであることは誰にも負けないつもりである。その情熱がこれを読んで下さった人に伝わればこの拙書の目的は達成だ。
 一点だけ言い訳をしたい。この拙書は、初めから構想を練って一気に書いたものではない。2015年の2月からブログにて発表を始めたものだ。2018年の夏になり、丁度半分位、即ち、大政奉還直前あたりまで進んだ頃に出版を思い立った。だから、前半の部分(特に序論)と後半の部分とで、記述に若干の矛盾が生じている。これは止むを得ないことだ。縁あって拙書を手にして下さった読者の方々は、この矛盾をむしろ、「筆者が書き乍ら進化した」と善解し、笑読して頂きたい。
 
 初版の執筆後記にも記したが、この改訂版を偶然にも慶喜公が手に取ってくれたら多分こう仰せになるだろう。「しかし、松原とやら、余程ワシの事を好いておるのじゃノウ。嬉しく思うぞ。」 とである。
 平伏した筆者は、額を畳に擦りつけてそのまま感涙に咽びつつ気絶してしまうかもしれない。
 この改訂・増補版も旧友の髙橋克己氏に校正を依頼し、快諾を得た。改めて厚くお礼を述べたい。
 また湘南社の田中社長にもお礼申し上げる。


番外編  慶喜公拝謁の夢
 ある初夏の清々しい日、慶喜公からお召しがあった。筆者は、礼服を新調して拝謁の栄に浴する事になった。その日、三崎名物のマグロ、そして三浦特産のスイカ・メロン・カボチャをリヤカーに満載して、第六天町の屋敷に伺った。
 十二畳二間の畳部屋に続く広縁に通された。額を床に擦りつけていると、慶喜公がお出ましになった。勿論平伏しているのでお顔は拝顔できない。
 慶喜公が筆者に声を掛けて下さった。よく通る美声であった。「松原隆文近う参れ!」とである。筆者は緊張して声も出ない。
「どうした、こちらに来ぬか」
「ハアアアア」というのが精一杯である。しかし、何とか膝行して近くまで進む。
「顔を見せよ」
「ヘエエエ」
「顔を見せよというのじゃ」
 これ以上、下を向いていたら却って失礼と思い、恐る恐る顔を上げた。 写真で見たとおりの端正なお顔だが、間近に寄ると、更に威厳のある辺りを払う品格があった。
「沢山の手土産を持ってきてくれたそうじゃノウ。また家令達に心付けまで済まぬノウ。 ワシは鮪が大好きでノウ、夏なので西瓜や真桑瓜も美味しいノウ!」
「ハアアア」(この感激のまま失神したいと思った!)
「せっかくここまで来たのじゃ。何を聞いても良いぞ。但し、一つだけじゃ」
 筆者が一瞬頭をよぎったのは、パークス謁見の時の意気込みや大政奉還の際の心境、クーデターをやられた時の悔しさ、鳥羽伏見の敗戦時の無念等々である。しかし、筆者は意外なことを口走ってしまった。
「あの上様は」
「その上様は止めよ!」
「はい、では御前(ごぜん)はどのような女性がお好きでしょうか?」とである。
 慶喜公はにこやかに即答した。
「そうよのう。まあ女優なら若尾文子のようなおなご(女子)かのう。幾つになっても典雅にして可愛らしい。」
「えっ!」筆者は思わず顔を上げて、慶喜公の顔を見てしまった。慶喜公もこちらを見て微笑んだ。
 アっ女性の好みも筆者と一緒だったか!
 その後、慶喜公は、筆者を気に入って下さったようで、「昼餉を食べていけ」と仰せになった。再三固辞したが、家令が「御前の希望である!」というので、ご相伴にあずかった(この間の至福のひとときは、別の場所にて披瀝するつもりだ)。
 楽しい時間があっという間に過ぎ、日が傾きつつある四時頃お暇(いとま)することとした。
 すると慶喜公は、「何か欲しいものはないか?」と仰せになった。腰を抜かしそうになって戸惑っていると、
「遠慮は要らぬぞ」と仰せになった。
 黙っていては失礼なので、「誠に僭越ですが」
「何を僭越なことがあろう。何でも申せ」
「はあああ、では上様の書を頂きたく存じます」
「何、ワシの書か?」
「はい、家宝に致します」
「良かろう」
  お暇するときに、慶喜公の書を家令から渡された。そこには「真心」と書かれてあった。見事な書であった。筆者の最良の一日だった。

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