ある古い戸籍謄本を見て

ある古い戸籍謄本を見て
三浦郡西浦村佐島○○番地 甲崎乙助
本籍の変遷は以下の通りである
昭和10年7月1日、土地の名称変更により、三浦郡大楠町佐島に更正された。
昭和18年4月1日、行政区画の変更により、横須賀市佐島と更正された。
要するに、西浦の地名も大楠の地名も消失したのである。
 三浦半島は、「浦」のつく地名がまことに多い。三浦市自体が、「浦」を使っている。三方を海に囲まれているから当然とも言えよう。そして南下浦、北下浦、浦賀、安浦、長浦、浦郷、田浦、これらの地名は全部東京湾側だ。相模湾側には「浦」のつく地名が残っていない。
 小生が若い頃、父親が、西浦の何々さん、とよく言っていた。西浦とはどの辺りだろうか?と漠然と思っていたが、この戸籍を見て、地図を広げ、大楠小学校から佐島の辺りを指すであろうことが想像できた。相模湾側で唯一「浦」のつく地名であった。大楠の名は大楠小・中学校、大楠山が有るから、今でも我々に親しい。しかし西浦の名は全く跡形がない。西浦屋というそば屋さんが芦名に有るから、この地名を今に伝えているのであろう。
 地名はそれぞれ由来があり歴史の宝庫である。例えば小生が住む上宮田という地名は、海南神社の社田が有ったということだ。下宮田は隣村である。金沢区の朝比奈の地名も、剛力無双の朝比奈三郎義秀が一夜で切り通しを開通させたことにちなんでいるそうだ。
 考古学と違って地名は捏造が出来ない。以前詩人の谷川健一が、平成の行政による地名の乱造を嘆いていた。三浦半島でも、やたらと葉山、湘南の名を使いたがる人が多い。例えば湘南山手、これ、湘南でもなければ山手でもない! 横浜に泥亀という地名があるが、若い人たちがこの名を使いたがらないと聞く。ダサいというのであろうか。以前、湿地帯で泥亀が沢山いた!ということだろうが、とても愉快な地名ではないか!
 もうこれ以上、地名を勝手に変えてもらいたくないものだ。