2018-01-01から1年間の記事一覧

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 16 参考文献

一、著作 歴史読本 特集 最後の将軍徳川慶喜 昭和54年4月号 新人物往来社 この雑誌こそ筆者を徳川慶喜に誘った(いざなった)記念すべき一冊だ。興味深い記事満載でしかも巻頭の写真に仰天した。何しろ慶喜が近代的な顔立ちの二枚目だったからだ。松浦玲…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 14 鳥羽伏見の戦いと徳川慶喜の敗退

一、薩摩系浪士による江戸市中及び関東一円の騒乱行為そして薩摩藩江戸屋敷焼き討ち事件 (あまりにも卑劣な行為なので)筆が進まないが、鳥羽伏見の戦いのまさに導火線となった一連の事件であり、避けて通る訳にもいかない。少し述べてみよう。 西郷等は京…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩13 王政復古のクーデターとその後の政局

慶応3年12月の僅かひと月の間に日々刻々と生起した重大事件をまず時系列で整理してみたい。前号と若干重複することを許されたい。 11月25日、西郷・大久保等が御所制圧、辞官・納地の要求を骨子とする薩摩のクーデター計画案を策定。 12月1日、西…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 15あとがき

執筆後記 体制が危機に瀕したとき、その責任者はどのように行動したか?歴史に興味のある者なら皆大きな関心を持つ。徳川慶喜は、開府以来ともいうべき幕府の危機を救える能力・見識・実行力を持った唯一の男であった。彼は本来、十四代将軍が相応しかった。…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 12 大政奉還と前後の政局

初めに 慶応3年10月14日から翌慶応4年1月3日までのわずか3ヶ月足らずの期間に日本の歴史の帰趨を決定する事件が3回生起している。 まず大政奉還次いで王政復古のクーデター、最後に鳥羽伏見の戦いである。この三大事件を経て日本は幕藩体制から脱…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩11高まる討幕運動と謀臣原市之進の死

始めに 読み易くするために今回は西暦対照表を付してみたい 元治元年 1864年 慶応元年 1865年 慶応2年 1866年 慶応3年 1867年 一、討幕運動の高まり 1、薩摩藩を中心とした討幕派の動向 徳川慶喜による兵庫開港の宣言を契機として討幕運…