2015-01-01から1年間の記事一覧

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 7 兵庫開港布告と勅許取得①

一、初めに 「貴国との条約を遵守し、断然兵庫を開港する」と四国公使に堂々と宣言したことにより、慶喜政権に対する諸外国の評価は高まった。しかしこの問題について、彼には最後の関門が待ち構えていた。勅許である。 まず、兵庫を開港するには国内布告が…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 6 四国公使謁見と兵庫開港問題②

一、将軍慶喜による四国公使謁見 そのスケジュール 天下の耳目をそばだたせる将軍慶喜による四国公使謁見は、いずれも内謁見(非公式の会見)と公式謁見に分け、大坂城において挙行された。 前号で述べたとおり、パークスはすでに3月14日、大坂に到着して…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 5 四国公使謁見と兵庫開港問題①

一、初めに 「兵庫は開く」 この明快過ぎる言葉を危ぶんだアーネスト・サトウ(英国公使館員)は、「そのお言葉、横浜や本国の新聞に掲載しても宜しきや?」と伺いを立てたほどである。慶喜の回答は更に明快であった。「苦しからず」と。 これは、司馬遼太…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 4 将軍慶喜の政権構想③そして幕政改革

一、初めに 序論①②から分かるように、慶喜が将軍に就任したときの幕府は正に開府以来最低の状態に落ち込んでいたといえよう。これは直接的には、第2次長州征伐の敗北による幕府自身の権威の失墜とそれに伴う求心力の著しい低下によるものである。また慶喜…

名歌手藤山一郎が唄う城ヶ島の雨

もうじき鬱陶しい季節になる。木々が潤い、生き物全てが命を育む梅雨時である。 私は生まれも育ちも三浦なのでこの歌の情景が手に取るように分かる。この歌、古今の名曲だ。偏見だが、日本の歌曲は肩肘張って理屈っぽいものが多い。その中でこの曲、メロディ…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩3 将軍慶喜の政権構想②

また前置きが長くなってしまうが、ここで慶喜の将軍就任までの過程を少し述べたい。 彼はすんなり将軍になった訳ではないからである。 (1)第二次長州征伐が敗北続きの中で将軍家茂が慶応2年7月20日に大坂城で死去した。この未曾有ともいうべき幕府開…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩2 将軍慶喜の政権構想①

1 初めに ペリーショック以来、日本の進むべき道は限られていた。それは好むと好まざるとに関わらず、近代化という後戻りできない行程である。では近代化とは何か?それは言うまでもなく産業革命を経て圧倒的な国力を有するに至った欧米列強と同様な国家を…

世紀のバイオリニスト フリッツ クライスラー

しっかり覚えていないが、去年の秋頃だったろうか。仕事で午後車に乗り、ラジオのNHKを付けた。すると、レギュラーらしいどこかの大学教授が、SPレコードをスタジオに持ち込んでいるところであった。何とその持ち込んだSPが、クライスラーの演奏する「ロンド…

ある漢(男)の肖像

私の事務所に、90センチ×60センチの大きな白黒の写真が飾られております。かなり目立つので、来客には見えないように奥の方に飾っております。 髪を総髪にして、フランス式の軍服を着、ブーツを履いて、姿勢を正して床几に座っております。左手に日本刀…

拝啓、若尾文子様(私の理想の日本女性)

若尾文子は稀な女優だ。 何が稀か?それは彼女がどんな役柄もこなせるからだ。清純な女性、毅然とした夫人、男を騙す役(多分、男は皆、若尾さんには騙されたいだろう)、得意の現代劇から時代劇まで、どんな役も似合うのである。なぜか?それは彼女が日本女…

不沈戦艦武蔵

ここ数日、新聞紙上で武蔵の発見記事が記載されている。これを読むにつけ、以前、仕事でお会いした老婦人のことを思い出す。もう十年以上前のことであった。 ある自治会の会長が、登記手続きの依頼に来た。内容は「土地を寄付して貰うので、その手続きをして…

ハイドンのチェロ協奏曲第2番

もういつだったか忘れてしまいましたが、CDショップに行ったとき、店頭に安いCDが置いてありました。ちょっと見てみるとジャクリーヌ・デュプレが弾く表題の曲を目にしました。この人の名はどこかで聞いたことがあるので何気なしに買いましたが、例によって…

不世出の美剣士市川雷蔵

市川雷蔵が死んだのは昭和44年の7月、私が高校3年生の時であった。既にファンになりつつあった私は、彼の死を鮮明に記憶している。その日、池上本門寺には大勢の弔問客が集まった。突然雷が鳴り大雨が降った。天も雷蔵の死を悼んで、雨を降らせ雷を鳴ら…

名歌手 ジョー・スタッフォード

JO STAFFORD America`s most versatile singing Star 私がジョー・スタッフォードの名を初めて知ったのは、小学4年生位の時であったか。 兄がシングル盤を買ってきて聴いていて、それが耳に入ったのである。曲名は「霧のロンドンブリッジ」だ。伸びやかで自…

グルジアの名花ニーナ・アナニアシヴィリ

数年前の夏の日の夜、何気なしに教育テレビをつけると、キーロフバレエをやっていた。出し物は、「白鳥の湖」。暑い日で寝付けそうもない。バレエを見るにはうってつけの夜であった。音楽好きな娘と「少し見ようか」と言って見始めたが、気がつくと最後まで…

ジネット・ヌブーが弾くブラームスのバイオリン協奏曲

数年前、フィリップスのCDを何気なく買った。聴いてみると何となんと素晴らしいではないか。 ブラームスのこの曲、よく言えばクール、何度も噛まないと味が出てこない。以前、味も素っ気もない、と言ったらファンに怒られた。私は決して嫌いではないが、メ…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 1

大政奉還した将軍慶喜は、新たな政治体制を模索していた。フランス留学から帰国した西周らに命じて、ルイ・ナポレオンの大統領制をモデルにした立憲君主制を研究させ、自らはその首長に収まることが目標であった。 大政奉還をしてしまえば、古い幕府はもう存…

参考資料

A 800円 B 850円 C 1040円 D 1140円 E 990円 F 2070円 G 2000円

競馬博士との友情(そして、さらば愛しのジェンティルドンナ)

私は昭和45年以来の競馬のファンだ。若いときは少し馬券を買った。しかし、もう40年以上も馬券を買っていない。見るだけで十分だからである。ただ常に見てきたわけではなく、何年かの断絶がある。この資格の受験時代や開業準備中などは競馬を見る余裕も…

我が心のジャイアント馬場

忘れもしません。昭和43年1月3日、私が高校1年生の時です。親父が新聞を見ながら「おっ、ルー・テーズが来ているぞ、ちょっと見てみようか」と言ったのです。「ルー・テーズ」、オールドファンなら誰一人知らぬものはいないプロレスの王者です。常に「…

モーツアルト考

クラッシックは、これを語る程聴いてはいませんが、少し許されたい。 40年ほど前だったと記憶していますが、カール・ベームが来日したとき、もし眼前にべートーベンが現れれば、最敬礼するだろう、と言いました。ではモーツアルトが現れたらどうするか、彼…

タンゴの女王 藤沢嵐子

若いときは、音楽の好みは不変だと思っていました。 もう知っている人は少ないかも知れませんが、1930年代から1950年代にかけて一世を風靡したルンバ王、ザビアクガート楽団などは大好きで、10年位前は、アメリカから当時の録音盤を10枚ほど入手…

雑学は身を助ける その2

平成26年12月の初旬、仕事で市内のある漁業関係の会社へ行きました。担当の人の案内で広い社長室に通されました。社長が必要な書類や印鑑等を用意している間、私は部屋を見渡しましたが、社長の性格でしょうか、余計なものが置いてありません。偶々私の…

ジョンの死

平成26年9月22日愛犬ジョンが静かに息を引き取りました。 9月19日夕方、義父が散歩させているときに、ぐるぐる回り出して倒れてしまったというのです。知らせを聞いて自動車で現地へ行くと苦しそうに喘いでいます。やっとのことで車に乗せ、獣医へ直…

雑学は身を助ける  その1

平成23年の晩秋、品の良い声の老婦人から電話を頂きました。以前私が仕事をした別の老婦人からの紹介です。 内容は、夫の遺言を作成して貰いたいというものです。親族間は大変仲が良く、揉めたりする心配は皆無なのですが、ご主人が癌であまり余命がなく、…

はじめまして

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