タンゴの女王 藤沢嵐子

若いときは、音楽の好みは不変だと思っていました。
 もう知っている人は少ないかも知れませんが、1930年代から1950年代にかけて一世を風靡したルンバ王、ザビアクガート楽団などは大好きで、10年位前は、アメリカから当時の録音盤を10枚ほど入手して、毎日聴いていたこともあります。 しかし最近滅多にこれを聴きません。別に嫌いになったわけではなく,あまりにも陽気で脳天気なので最近の自分の心境に合わないんでしょうね。
 昨年の夏から、毎日のように聴いていた一人の歌手がいます。この名前を知っている人がいたら、まあよほどタンゴ好きな方ですね。藤沢嵐子さんは1950年代にタンゴの本場アルゼンチンに渡り、大人気を博しました。現地の人たちはラジオから流れてくる彼女の声を聴いて誰も日本人と思わなかったそうです。それほどスペイン語がきれいだったんですね。私も以前から名前も声も知っていました。タンゴの全集を買うと必ず何曲かは彼女の歌が入っています。夫君の楽団オルケスタティピカ東京の演奏をバックにして歌うのですね。「メルセ寺院の鐘」や「永遠に別れを」そして18番の「ママ、私恋人が欲しいの」などが有名です。
 一時引退しておりましたが、1980年代でしたか、カムバックして吹き込んだ「タンゴの異邦人」というCDが出て、買ってみたのですが、あまり気に入らず、そのままでした。
 しかし彼女が昨年お亡くなりになり、没後の記念盤が出たのですね。その題名はまさしく「タンゴの女王藤沢嵐子」です。試聴してみましたが、2枚組でそのうちの何曲かは、先述のCDとダブるんですよ。それで購入を躊躇しました。しかしそれをきっかけにして、再び藤沢嵐子への興味が出ました。便利な時代になったものでCDをパソコンで試聴できるんですね。手始めに「若き日の藤沢嵐子」というCDを買いました。これが素晴らしいの一言につきます。正にデビューしたそのときの初録音が入っています。歌唱がやや不安定ですが(当たり前)、それさえ清々しい魅力を感じます。日本語で歌う「淡き光に」や「バンドネオンの心」なども素晴らしいですね。そして絶品は、何といっても、「ポエマタンゴ」です。この曲をこれほどまでにドラマチックに切なく、しかも端正に歌う歌手を私は知りません。聴くと涙ですね。このCDを皮切りに4枚ほど買い漁りました。結局表題の2枚組も買ってしまいました。掘り出し物は、「シボネー」を日本語で歌ったり、「リラの花咲く頃」を巧みなフランス語で歌ったりした「名唱選Ⅰ」です。「華麗なるアルゼンチンタンゴ・ベスト」という2枚組の廉価版もななかなか良いです。惜しむらくは「さらば草原よ」のベスト盤の吹き込みが無いことです。
 1950年代の初めに単身本場に渡って大人気を博すには、その天分だけではなく、人知れず、すさまじい努力があったと思います。そのおかげで、私たちは、正にタンゴの女王藤沢嵐子の声を、長く聴き続けることが出来ます。今宵も彼女の歌声に酔いしれて夜が更けます。