雑学は身を助ける その2

平成26年12月の初旬、仕事で市内のある漁業関係の会社へ行きました。担当の人の案内で広い社長室に通されました。社長が必要な書類や印鑑等を用意している間、私は部屋を見渡しましたが、社長の性格でしょうか、余計なものが置いてありません。偶々私の座っているソファーに面した壁に目をやりますと、あまり大きくない、しかも大分茶色に変色した表彰状が掲げてあります。何かと思って見てみますと水難救助の表彰状なんですね。何と、昭和17年10月に授与されたものです。授与者の名前が、「大勲位博恭」と記され、大きな印鑑が押印されています。
 私は、「社長、伏見宮ですね。」と言いました。社長は大いに驚き、「いや、これを伏見宮と分かるのはかなり少数ですよ。松原さん、大分歴史が好きと見えます。」と仰るんですね。私は「いいえ、偶々知っていただけですよ、偶々です。」と言いました。本当に偶々知っていただけなんですが、社長はなかなか納得してくれませんでした。ついでに「これヒロヨシ、って読むんですよね」と調子に乗って言いますと、「・・・」でした。
 数日して、またその会社へ行きました。仕事が無事に終わって、書類を返しに行ったのですね。社長は、近くの海岸が隆起したことなど興味深い話を、写真や資料を見せてくれながら、いろいろ教えてくれました。そこで、私は偶々伏見宮を知っていた理由を告げました。私の父親が乗っていた駆逐艦に、伏見宮の子息が乗船したときの話を私が高校生位の時に父がしてくれたこと、それを思い出したのだということです。
 すると社長は「松原さん、ヒロヨシではなくヒロヤスと読むんですよ」と教えてくれました。私に恥をかかせたくない思いがあったのか、いきなりは言わなかったんだと推察します。それに、歴史のある会社ですから他にも表彰状などがあるはずですが、水難救助という人命に関わる行為の表彰状しか飾っていないことにも、ある種の奥ゆかしさを感じました。
 話が弾み、「昭和17年10月というのは、いわゆる連合艦隊最後の勝利といわれる南太平洋海戦があった正にそのときですね」と言いますと、「ああ、ポートモレスビーの攻略ですね」とさりげなく仰るのですよ。それから江戸時代後期の宮家のことなど話題は尽きそうにありませんでしたが、浅学のボロが出ると困るので、早々に失礼しました。 
  余計な話題を、ことさら探し出して話しかける必要は毫もありませんが、仕事で知り合った人とこういう会話が出来るのは嬉しいことですね。雑学も良いものです。