日記

神童メニューインが弾くパガニーニのバイオリン協奏曲第1番

(1)例によって長い前置きを許されたい。30年位前まではいわゆるクラシックの名盤推薦を見ると、現代気鋭の演奏者に混じってクライスラーの名が上がっていた。しかし、この偉大な演奏家もさすがに最近は名前が出て来なくなった。ネット上で誰か推薦して…

先日出版した「最後の将軍徳川慶喜の苦悩」の訂正

若干の誤りを発見しかつ有り難いご指摘を頂きましたので、ここに訂正させていただきます。 ① 11ページ及び帯 慶応三年四月十一日→慶応四年四月十一日 ② 43ページ 遺英留学生→遣英留学生 ③ 210ページ 切り死に→斬り死に

慶喜論出版しました

平成27年2月から30年11月にかけてブログに連載していた徳川慶喜論を本年3月28日出版しました。 ご希望の方は書店にて購入出来ますが松原の手元にもありますのでご一報ください。

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 16 参考文献

一、著作 歴史読本 特集 最後の将軍徳川慶喜 昭和54年4月号 新人物往来社 この雑誌こそ筆者を徳川慶喜に誘った(いざなった)記念すべき一冊だ。興味深い記事満載でしかも巻頭の写真に仰天した。何しろ慶喜が近代的な顔立ちの二枚目だったからだ。松浦玲…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 14 鳥羽伏見の戦いと徳川慶喜の敗退

一、薩摩系浪士による江戸市中及び関東一円の騒乱行為そして薩摩藩江戸屋敷焼き討ち事件 (あまりにも卑劣な行為なので)筆が進まないが、鳥羽伏見の戦いのまさに導火線となった一連の事件であり、避けて通る訳にもいかない。少し述べてみよう。 西郷等は京…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩13 王政復古のクーデターとその後の政局

慶応3年12月の僅かひと月の間に日々刻々と生起した重大事件をまず時系列で整理してみたい。前号と若干重複することを許されたい。 11月25日、西郷・大久保等が御所制圧、辞官・納地の要求を骨子とする薩摩のクーデター計画案を策定。 12月1日、西…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 15あとがき

執筆後記 体制が危機に瀕したとき、その責任者はどのように行動したか?歴史に興味のある者なら皆大きな関心を持つ。徳川慶喜は、開府以来ともいうべき幕府の危機を救える能力・見識・実行力を持った唯一の男であった。彼は本来、十四代将軍が相応しかった。…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 12 大政奉還と前後の政局

初めに 慶応3年10月14日から翌慶応4年1月3日までのわずか3ヶ月足らずの期間に日本の歴史の帰趨を決定する事件が3回生起している。 まず大政奉還次いで王政復古のクーデター、最後に鳥羽伏見の戦いである。この三大事件を経て日本は幕藩体制から脱…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩11高まる討幕運動と謀臣原市之進の死

始めに 読み易くするために今回は西暦対照表を付してみたい 元治元年 1864年 慶応元年 1865年 慶応2年 1866年 慶応3年 1867年 一、討幕運動の高まり 1、薩摩藩を中心とした討幕派の動向 徳川慶喜による兵庫開港の宣言を契機として討幕運…

ルンバ王ザビア・クガートが紡ぐ名曲ビギン・ザ・ビギン

もし仮に絶海の孤島で生活することを余儀無くされ、2作品だけ歌舞音曲を持っていくことが許されるとしたら、私は迷うことなくザビア・クガートが演奏するビギン・ザ・ビギンを選ぶ。それも1954年に吹き込んだアルバム「CUGAT`S FAVORITE…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩10 国際環境の悪化と借款の不調

初めに 四国公使への兵庫開港の宣言と勅許取得は将軍慶喜の大きな政治的成功であった。しかし、政治とは儘ならないもので、皮肉にもこの6月6日の国内布告を境として、慶喜の政治的立場は急速に悪化していくのであった。 まずフランスの対外政策の変化とそ…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩9  兵庫開港布告と勅許取得③

一、四候の京都集合 1、 西郷・大久保らを中心とする薩摩藩士の工作で、有力諸侯(薩摩・島津久光、伊予宇和島・伊達宗城、福井越前・松平春嶽、土佐・山内容堂)が京に集合した。容堂が入京したのが慶応3年5月1日なので、4人揃ったのは5月になってか…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 8 兵庫開港布告と勅許取得②

兵庫開港をめぐる薩摩藩士の対抗策 小松帯刀・西郷吉之助・大久保一蔵らを中心とする反幕派の有力薩摩藩士達(以下省略して「薩摩」という)は、兵庫開港問題こそ幕末最大の政局になることを早くから見通し、様々な対抗策を打ってきた。以下、それを述べてみ…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 7 兵庫開港布告と勅許取得①

一、初めに 「貴国との条約を遵守し、断然兵庫を開港する」と四国公使に堂々と宣言したことにより、慶喜政権に対する諸外国の評価は高まった。しかしこの問題について、彼には最後の関門が待ち構えていた。勅許である。 まず、兵庫を開港するには国内布告が…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 6 四国公使謁見と兵庫開港問題②

一、将軍慶喜による四国公使謁見 そのスケジュール 天下の耳目をそばだたせる将軍慶喜による四国公使謁見は、いずれも内謁見(非公式の会見)と公式謁見に分け、大坂城において挙行された。 前号で述べたとおり、パークスはすでに3月14日、大坂に到着して…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 5 四国公使謁見と兵庫開港問題①

一、初めに 「兵庫は開く」 この明快過ぎる言葉を危ぶんだアーネスト・サトウ(英国公使館員)は、「そのお言葉、横浜や本国の新聞に掲載しても宜しきや?」と伺いを立てたほどである。慶喜の回答は更に明快であった。「苦しからず」と。 これは、司馬遼太…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 4 将軍慶喜の政権構想③そして幕政改革

一、初めに 序論①②から分かるように、慶喜が将軍に就任したときの幕府は正に開府以来最低の状態に落ち込んでいたといえよう。これは直接的には、第2次長州征伐の敗北による幕府自身の権威の失墜とそれに伴う求心力の著しい低下によるものである。また慶喜…

名歌手藤山一郎が唄う城ヶ島の雨

もうじき鬱陶しい季節になる。木々が潤い、生き物全てが命を育む梅雨時である。 私は生まれも育ちも三浦なのでこの歌の情景が手に取るように分かる。この歌、古今の名曲だ。偏見だが、日本の歌曲は肩肘張って理屈っぽいものが多い。その中でこの曲、メロディ…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩3 将軍慶喜の政権構想②

また前置きが長くなってしまうが、ここで慶喜の将軍就任までの過程を少し述べたい。 彼はすんなり将軍になった訳ではないからである。 (1)第二次長州征伐が敗北続きの中で将軍家茂が慶応2年7月20日に大坂城で死去した。この未曾有ともいうべき幕府開…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩2 将軍慶喜の政権構想①

1 初めに ペリーショック以来、日本の進むべき道は限られていた。それは好むと好まざるとに関わらず、近代化という後戻りできない行程である。では近代化とは何か?それは言うまでもなく産業革命を経て圧倒的な国力を有するに至った欧米列強と同様な国家を…

世紀のバイオリニスト フリッツ クライスラー

しっかり覚えていないが、去年の秋頃だったろうか。仕事で午後車に乗り、ラジオのNHKを付けた。すると、レギュラーらしいどこかの大学教授が、SPレコードをスタジオに持ち込んでいるところであった。何とその持ち込んだSPが、クライスラーの演奏する「ロンド…

ある漢(男)の肖像

私の事務所に、90センチ×60センチの大きな白黒の写真が飾られております。かなり目立つので、来客には見えないように奥の方に飾っております。 髪を総髪にして、フランス式の軍服を着、ブーツを履いて、姿勢を正して床几に座っております。左手に日本刀…

拝啓、若尾文子様(私の理想の日本女性)

若尾文子は稀な女優だ。 何が稀か?それは彼女がどんな役柄もこなせるからだ。清純な女性、毅然とした夫人、男を騙す役(多分、男は皆、若尾さんには騙されたいだろう)、得意の現代劇から時代劇まで、どんな役も似合うのである。なぜか?それは彼女が日本女…

不沈戦艦武蔵

ここ数日、新聞紙上で武蔵の発見記事が記載されている。これを読むにつけ、以前、仕事でお会いした老婦人のことを思い出す。もう十年以上前のことであった。 ある自治会の会長が、登記手続きの依頼に来た。内容は「土地を寄付して貰うので、その手続きをして…

ハイドンのチェロ協奏曲第2番

もういつだったか忘れてしまいましたが、CDショップに行ったとき、店頭に安いCDが置いてありました。ちょっと見てみるとジャクリーヌ・デュプレが弾く表題の曲を目にしました。この人の名はどこかで聞いたことがあるので何気なしに買いましたが、例によって…

不世出の美剣士市川雷蔵

市川雷蔵が死んだのは昭和44年の7月、私が高校3年生の時であった。既にファンになりつつあった私は、彼の死を鮮明に記憶している。その日、池上本門寺には大勢の弔問客が集まった。突然雷が鳴り大雨が降った。天も雷蔵の死を悼んで、雨を降らせ雷を鳴ら…

名歌手 ジョー・スタッフォード

JO STAFFORD America`s most versatile singing Star 私がジョー・スタッフォードの名を初めて知ったのは、小学4年生位の時であったか。 兄がシングル盤を買ってきて聴いていて、それが耳に入ったのである。曲名は「霧のロンドンブリッジ」だ。伸びやかで自…

グルジアの名花ニーナ・アナニアシヴィリ

数年前の夏の日の夜、何気なしに教育テレビをつけると、キーロフバレエをやっていた。出し物は、「白鳥の湖」。暑い日で寝付けそうもない。バレエを見るにはうってつけの夜であった。音楽好きな娘と「少し見ようか」と言って見始めたが、気がつくと最後まで…

ジネット・ヌブーが弾くブラームスのバイオリン協奏曲

数年前、フィリップスのCDを何気なく買った。聴いてみると何となんと素晴らしいではないか。 ブラームスのこの曲、よく言えばクール、何度も噛まないと味が出てこない。以前、味も素っ気もない、と言ったらファンに怒られた。私は決して嫌いではないが、メ…

最後の将軍徳川慶喜の苦悩 1

大政奉還した将軍慶喜は、新たな政治体制を模索していた。フランス留学から帰国した西周らに命じて、ルイ・ナポレオンの大統領制をモデルにした立憲君主制を研究させ、自らはその首長に収まることが目標であった。 大政奉還をしてしまえば、古い幕府はもう存…