最後の将軍徳川慶喜の苦悩 16 参考文献

一、著作
歴史読本 特集 最後の将軍徳川慶喜 昭和54年4月号  新人物往来社
 この雑誌こそ筆者を徳川慶喜に誘った(いざなった)記念すべき一冊だ。興味深い記事満載でしかも巻頭の写真に仰天した。何しろ慶喜が近代的な顔立ちの二枚目だったからだ。松浦玲氏の論文が素晴らしく、比屋根かをる女史の短い文章も慶喜ファンであることが切々と伝わった。また、何よりも後で紹介する河合重子女史はここで初めて執筆したということが、彼女が監修した「微笑む慶喜」の監修者紹介欄で語られているが、私はその文章を明確に覚えていてこの拙書にも引用させてもらっている。何か運命を感じるほどだ。
松浦玲 徳川慶喜 中公新書
 筆者の慶喜論はこの著書の影響大だ。コンパクトにまとまっていて分かりやすい。ただ紙面の関係か、王政復古以降の記述がやや手薄く、残念だ。
石井孝 増訂明治維新の国際的環境 吉川弘文館
 不朽の名著である。慶喜大坂城でパークスを謁見するシーンなどは何度読んでも感激で涙が出てしまうほどだ。
石井孝 明治維新の舞台裏 岩波新書
 国際関係に視野を広げたコンパクトな名著だ。筆者はこれを読み過ぎてボロボロになってしまった。岩波書店に在庫を尋ねたら「なし」、「再版の予定もなし」ということである。
石井孝 幕末悲運のびと 有隣新書
 志敗れた悲運の人々四人、岩瀬忠震孝明天皇徳川慶喜小栗忠順を簡潔に扱っている。石井博士は、慶喜が徳川絶対主義をやろうとしたことに確信があるらしく、鳥羽伏見の戦いもその線で押している。しかし慶喜にそれほどの執念があったのかは推測しかねる。また鳥羽伏見の戦いは日本戦争史上、(幕府側の)最も杜撰な作戦であったので、博士の主張にはこの点では若干の違和感を覚える。
家近良樹 徳川慶喜  吉川弘文館  
 筆者の資料はやや古いものが多かった。この著作は最近の研究の成果を取り入れており、特に慶喜が将軍に就任する直前の行動など、筆者はこの著書で初めて知った。ただ、慶喜が鳥羽伏見で負けたのは尊皇精神のせいだなどと白ける記述も多い。
野口武彦 慶喜のカリスマ 講談社
 これも比較的新しい、ユニークな著書である。
野口武彦 鳥羽伏見の戦い 中公新書
 この戦をまるで観戦しているような臨場感に溢れた著書である。幕府側の無策がひたすら浮き彫りにされて消化不良を起こしてしまうほどだ。
河合重子 謎解き徳川慶喜 草思社
 事実関係を丹念に調べてあり、何よりも慶喜に対する愛情一杯の著書である。
女史が歴史読本に掲載した西周からフランス語を習うくだりは拙書の第六話で引用させていただいた。
井上勝生  開国と幕末変革 講談社 日本の歴史18
 最新の幕末歴史研究の水準を示している。
町田明広 グローバル幕末史 草思社
 幕末の武器購入事情などを記述しており参考になった。また薩摩藩士の意識の高さを痛感した。
佐藤泰史 あの世からの徳川慶喜の反論 東洋出版
 この著者、公安調査庁に勤務していた経歴からか徹底的に事実関係の整理に終始している。薩摩藩江戸屋敷焼き討ちの知らせが大坂城に届いたのは、通説の慶応3年12月28日ではなくて、30日だということを科学的に論証しているが、筆者もこれに与するものである。
井上勳 王政復古 中公新書
 12月9日のクーデターに到るまでの過程を日々克明に刻んでいる。ただ結語で王政復古の宣言は近代日本の出生証だとしているが、第八話でも述べたとおり、筆者はこれには与していない。
芝原拓自 世界史の中の明治維新 岩波新書
佐々木克 戊辰戦争 中公新書
毛利敏彦 大久保利通 中公新書
大久保利謙 岩倉具視 中公新書
馬場宏二 神長倉真民論 開成出版
 在野の学者にスポットを当てたものだ。対仏借款についての言及があり、興味深い。
比屋根かをる 将軍東京へ帰る 新人物往来社
 フィクションで、身近に仕えた老女須賀の名を借りて、引退後の生活を中心に描いている。しかし、慶喜の心情を、正に痒い所に手が届くほど描いている。事実関係の確認も正確で、女史が慶喜ファンであることが切々と伝わってくる。
二、論文
高橋秀直 公議政体派と薩摩討幕派 王政復古クーデター再考 京都大学
 第六話で紹介したが、この論文に接したときは感激以外なかった。石井博士の「明治維新の国際的環境」以来の幕末維新史の新たなページを飾る傑作論文そのものではなかろうか。筆者が多年疑問に思っていたことがほぼ氷解した。また幕末世論をリードした「公議世論」と「天皇原理」という考え方も分かり易い。
 クーデター政権内部で、必ずしも討幕派の主張の通りではなく公議政体派が巻き返しをしていたことも興味深い。また岩倉が容堂を叱責したという逸話はのちの虚構だというのも面白い。
柴田三千雄・柴田朝子 幕末におけるフランスの対日政策 「フランス輸出入会社の設立計画をめぐって」
 対仏借款の構造を知りたくて、国会図書館に登録してまで入手した論文だが、結局大したことは分からなかった。この件は、フランス側のソシエテ・ジェネラールが議事録を開示して呉れればかなり解明される筈だが、全くその意思はないらしい。
三、資料等(第一次資料、第二次資料)
渋沢栄一編 徳川慶喜公回想談 昔夢会筆記 平凡社東洋文庫
 明治になって、慶喜が当時の一流歴史学者の質問に答えるという形式で何度か催された会である。賢い慶喜は核心の部分になると、とぼけたり沈黙したりして語らない。いかに優秀な歴史家達も、正に歴史の生き証人・前征夷大将軍には聞き出せないことが多かったのではないか。
松戸市教育委員会編 「徳川昭武滞欧日記」 山川出版社
 第五話でも紹介したが、将軍慶喜から弟昭武への二通の手紙が披露されている。
日本史籍協会叢書 「川勝家文書」 東京大学出版社
高橋敏 小栗日記を読む 岩波書店
 この書籍を購入した最大の収穫は第四話でも指摘したが、慶応3年7月18日に、ロンドンから向山一履が小栗に宛てて電報を打ったことが記載されていたことだ。
 また。幕府は最幕末になると、江戸と京都で、いわば二つの政権を維持しており、その意思疎通が困難であったことがこの日記から浮き彫りにされる。やはり慶喜は京都で宮廷工作に明け暮れるのではなく、一日も早く関東に帰り、この地で行財政改革を徹底して行ない、鉄壁の体制を築いた方が良かったのではなかろうか?などと考えてしまう。
四、その他
戸張裕子 河合重子(監修) 微笑む慶喜  草思社
 主に隠居後の慶喜の写真集とその解説である。一枚だけ微笑んでいる写真がある。こういう慶喜に接すると筆者も無性に嬉しくなる