ルンバ王ザビア・クガートが紡ぐ名曲ビギン・ザ・ビギン

もし仮に絶海の孤島で生活することを余儀無くされ、2作品だけ歌舞音曲を持っていくことが許されるとしたら、私は迷うことなくザビア・クガートが演奏するビギン・ザ・ビギンを選ぶ。それも1954年に吹き込んだアルバム「CUGAT`S FAVORITE RUMBAS」に収録された演奏に限る。
 もう1作は、これも迷うことなくベートーベンのスプリングソナタだ。それもクライスラーの演奏に限る。ニーナ・アナニアシヴィリの白鳥姫も良いのだが、如何せんニーナ様の美脚を絶海の孤島で拝むのはやや辛かろう。 他には11代目市川団十郎の名舞台、助六由縁江戸櫻も捨て難いが、まあこれは自宅で一杯飲みながら観劇したい。
 私がザビア・クガートのビギン・ザ・ビギンを知ったのは高校生の時であった。音楽好きな兄がこのアルバムを買ってきてよく聴いていた。私は耳にした瞬間からこの曲・この演奏に魅せられた。何しろルンバのリズムに乗った心地よいメロディとシンプルでありながら多彩な演奏が美しく、しかもエキゾチック。あらゆる想像力をかき立ててしまう。何度聴いても飽きない。当時、兄にせがんで、何度もこの曲をプレーヤーに掛けてもらった。 
 話は飛ぶが、「泥棒成金」というヒチコックの洒落た映画がある。舞台はニースだったか、花火のシーンがあり、そこでグレース・ケリーケーリー・グラントの素敵なラブシーンがある。何しろ美男美女だからたまらない。このバックに流れる音楽もとても効果的だったが、仮にビギン・ザ・ビギンを流してもしっくりしそうな気がする。この演奏、ジャンルを超えて素晴らしいのだ。当時無知な私はこの曲、ザビア・クガートのオリジナルと思っていた。というより、そもそもそんな詮索はしなかった。かなり後年になって、コール・ポーターの作品と知った。
 脱線するが、私が中学に入る頃からベンチャーズが大人気になっていた。実は私もベンチャーズのファンだ。1965年に来日したときはテレビにかじりついて見ていた。ベンチャーズは、ライブの最後に必ずアンコール曲として「キャラバン」を演奏して会場を盛り上げる。この曲、スタジオ録音盤も出色で、リードギターのノーキ・エドワーズの超絶技巧が冴えわたるのである。ギターを演奏しない者も,当時のファンは皆、口で「テケテケ」と真似たものだ。このキャラバンの編曲が実に素晴らしいので、当時のファンは皆ベンチャーズのオリジナルと思っていた。デューク・エリントンの名曲だなんて知っている人は少数だったのではなかろうか?
 話を戻したい。このビギン・ザ・ビギンはその誕生からして名曲たる下地が整っていたというべきではあるまいか?大作曲家のコール・ポーターが1935年にパリで作曲し、同年のミュージカル「ジュピリー」で初めて唄われた。しかし当時はさして評判とはならず、その後、クラリネットの名手、アーティ・ショウがビッグバンドで演奏し、記録的ヒットとなって有名になった。以来、多くのアーティストが唄いあるいは演奏している。
 コール・ポーターは、カリブ海に浮かぶマルティーニ島の「ビギン」のリズムにヒントを得てこの曲を作ったという。「ビギンを始めよう!」という洒落た曲名を付けたのだ。要するにアメリカ人がラテン風の曲を作ったのだから曲の成り立ちからしてエキゾチックでしかもグローバルな要素を包んでいるのである。この曲を演奏し、あるいは唄うとき、ラテン系のものとジャズあるいはポップス系のものに分かれるのも当然なのかもしれない。
 ジャズ・ポップス系の唄は有名アーティストが並ぶ。ビング・クロスビーフランク・シナトラ、ペリー・コモ、ジョ-・スタッフォード等々まるでアメリカの軽音楽史そのものだ。それだけこの曲は多くのアーティストにとって魅力があるのだろうか?
 ラテン風の唄い方では、我々にはあまり知られていない歌手が多い。最近知ったのだが、Mario Lanzaという歌手なんか素晴らしい。演奏だけなら、ポップス系でやると、ほぼムード音楽そのものとなる。ジャズならアーティ・ショウに代表されるようにほぼビッグバンドのスウィングだ。
 また話が飛ぶが、コール・ポーターの伝記映画が1946年に作られ、このラストシーンで白い服を着てソンブレロをかぶったメキシコ系の歌手がこの曲を唄っている。この歌手の唄も素晴らしいのだが、残念ながら名前が分からない。
 このラストシーンは愉快だ。何しろラテン系の衣装を身にまとった青い目の白人の俳優達が大挙してカリブの現地人に扮して出てくるのである。これは東宝の特撮映画「モスラ」で、南方の島の現地人がモスラの卵をあがめるシーンがあり、それが全員日本人で、当時これを見た私は、子供ながら可笑しく感じた記憶があるが、似たようなものだ。
 この曲、歌手にとってはかなりの難物ではないか?メロディが意外と単調でしかも起伏が緩い。なのに歌詞が長い。なかなかドラマチックに歌い上げることが出来にくい。この曲が何度聞いても飽きないのは、この単調で緩い起伏のためかも知れない。しかしそれはそのまま唄いにくい理由でもあるのではないか?
 ジャズ・ポップス系、ラテン系の何人もの名歌手の歌を聴いたが、ドンピシャの感動が湧いてこない。意外なのがエラ・フィッツジェラルドだ。彼女のことだから原曲が分からなくなるくらい崩して唄うのでは?と思ったら何と端正で声量豊か!ただその分、面白みがない。大御所エラをもってしても崩して唄うことが出来ないのだろうか?ちなみにフリオ・イグレシアスというスペインの歌手がこの歌をリバイバルさせたのは、1980年頃であったろうか?リバイバルさせた功績は称えたいが、まあ私は一度聴けば十分だ。
 結論を言うと、誰の唄を聴いても大きな感動がない。結局ザビア・クガートの名演に尽きるのである。これは奇妙な現象だ。元々歌詞無しの曲なら分かる。たとえば誰でも知っているビクター・ヤング楽団の名演奏「エデンの東」や「ムーランルージュ」に歌詞を付けても、取って付けたようで、決して「演奏だけ」には及ばないだろう。これは歌曲にも言えることだ。別コーナーで紹介した「君は我が全て」や「エンブレイサブルユー」は唄無しでは全然面白くない。しかし、である。「ビギン・ザ・ビギン」は初めから唄有りの曲なのだ。なのに心に滲みる名唱がない。ザビア・クガートの演奏が素晴らし過ぎるからなのか、それとも先に述べた理由で、どんな歌手の表現力を持ってしても唄いこなせないのか?私には分からない。一つだけ言えるのは、それほどザビア・クガートの演奏は素晴らしいということだ。
 この歌日本人には絶対歌えないと思っていた。しかし最近Unosukeという人が唄っていて、外国人に遜色がない。グローバル化は難攻不落のこの歌にまで来たのだろうか。
 話が再び逸れるが、こういう話はあまりしたくないが、コール・ポーターは女性に興味が無い人であったらしい。彼の妻も結婚する時それを知っていたが、彼の才能に惚れ込んでそれを承知で結婚したらしい。私は見ていないが、最近(といってももう10年くらい前)上映された「五線譜のラブレター」という映画でもその件りが紹介されているようだ。ただ私が言いたいのはそんな事ではない。この曲の詞は正に男女の心の機微を唄ったものだ。女性に興味が無い者がこういう詞を書けるのか?私には全くの謎である。
 又、コール・ポーターは勿論大作曲家であるが、フツーの日本人にはやや取っつき難い曲が多い。「夜の静けさに」や「夜も昼も」はメロディが親しみやすいが、彼の代表作「帰ってくれたら嬉しいわ」「私の心はパパのもの」「あなたはしっかり私のもの」「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」等々、皆軽妙でお洒落だがメロディラインがやや分かり辛い。やはり日本人には旋律がはっきりした曲の方が受けるようだ。
  ところで私は、この「CUGAT`S FAVORITE RUMBAS」のCD盤を入手するにはかなりの労力を要した。家を出て独立するとき兄がザビア・クガートのLPレコードの演奏を集めてミュージックテープテープに編集してくれたので、それを時々聴いていた。しかしやがて自分のCDを備えたくなり、レコード屋でザビア・クガートのCDアルバムを何枚か買った。ところがこれらは皆、他の曲を含めて、耳を疑いたくなるような演奏ばかりであった。ザビア・クガートのことはいずれ別コーナーで掲載するつもりだが、彼のキャリアは1933年から1972年位までだが、その全盛期は1960年初めまでだ。日本に出回っているCDは彼のキャリアの最後半のものばかりで、全盛期の演奏には全くほど遠い。私は切歯扼腕した。こんな録音ばかり残したのでは彼のキャリアを汚すのではないか?と。やはり彼の演奏の全盛期は管楽器だけでなく弦楽器も豊富に入っている。この録音でないと私は満足できない。
 ビギン・ザ・ビギンに限って言えば、私の知っている限りでは5回録音している。そのうち名演は2回だけだ。
 一つは1935年の録音でこれはかなり出回っている。この演奏、やや荒削りだが悪くはない。驚くべきは「1935年」というこ
とだ。つまり、コール・ポーターが発表して直ぐこの名曲に注目したのである。凄い慧眼だ。 
 もう一つが、冒頭からずっと拘っている1954年の演奏だ。私はこれを凌ぐ演奏はもう出ないと確信している。                                           
 話を戻そう。この録音を探していた私は、いつの間にか、インターネットで3ヶ月置き位に「ザビア・クガート」をチェックする習慣が出来てしまった。その執念が通じたのか、忘れもしないが、もう13年ほど前の7月のことである。例によって、インターネットでダメ元で探していると、突然BARNES& NOBLEという会社のCDが画面に飛び込んできた。しかも何と試聴できるではないか! 私が随喜の涙を流したのは言うまでも無い。更に調べると、彼の全盛期の録音を満載したCDを沢山販売している。ネットが苦手な私は娘に頼んでこれを注文しまくり、14枚ほど買い込んだ。そしてやっと念願の1954年の録音盤を入手したのであった。 この年私は暮れの12月まで、毎日夜になるとザビア・クガートの演奏をほろ酔い加減で聴き続けた。手持ちぶさたなのでマラカスを買い、これを振りながら聴くことが多かった。
 この演奏が何故そんなに素晴らしいのか?これは聴いてもらうしかないのだが、ちょっとコメントしたい。
 フルートの独奏から始まり、男達のワンコーラスが実にエキゾチックで効果的だ。やがて弦楽器の演奏が始まり、トランペットの独奏に繋ぐ。後半は、洒落たピアノ独奏、そしてヴァイブも加わって、フルバンドで実に豊かに終章へ向かい、最後はフルート独奏で終わる。そして演奏の全編に亘りマラカスとボンゴがリズムを刻み、ベースがズンズン腹に響く。つまり単調で緩い変化のメロディを様々な楽器で演奏し、耳に心地良く伝わるようにしているのであろうか。何度聴いても飽きないのはこのためだ。
 ところで一時、ザビア・クガートの演奏をこの曲も含めて聴かない時期が数年ほど私にもあった。個人的な事情もあり、あまりにも脳天気な演奏を聴く気になれなかったのだ。しかし最近再び聴き始めた。やはり良いものは良いのだ。多分これからも(生きている間はずっと)聴き続けるのではないか?こんな名演奏に巡り会ったのは僥倖というべきだし。