不世出の美剣士市川雷蔵

 市川雷蔵が死んだのは昭和44年の7月、私が高校3年生の時であった。既にファンになりつつあった私は、彼の死を鮮明に記憶している。その日、池上本門寺には大勢の弔問客が集まった。突然雷が鳴り大雨が降った。天も雷蔵の死を悼んで、雨を降らせ雷を鳴らしたと、当時の新聞が書いていた。そして皆、この不世出のスターの早過ぎる死を悼んだ。
 雷蔵はどんな役をやってもサマになる俳優であった。現代劇もこなした。陸軍中野学校シリーズや若親分シリーズ、更には「破戒」や「炎上」と言った文学作品にも存在感を示した。しかし雷蔵の真骨頂はやはり時代劇であった。渡世人、奉行、旗本、大名、公家、更には町人まで、何をやってもある種の品格を示した。そして見る物に常に深い共感を与えた。この共感とは何であろうか。雷蔵という人は、笑っていてもどこか悲壮感のある人であった。この悲壮感こそが雷蔵の特徴ではないか?なぜあのような悲壮感が出るのか?この悲壮感とは何か底知れぬ宿命を負っているような彼のイメージからくるものではなかったか?この悲壮感が常に彼の映画にある種の緊迫感と共感を与えていたのではなかろうか。
 彼が画面に出てくると、これを見る者は常に彼と一体となって、切歯扼腕するのである。それは彼が悲劇のヒーローを演じる場合に最高度に発揮された。
 たとえば忠臣蔵浅野内匠頭。彼が白装束で従容と死に就く場面では前髪が乱れているのだが、この臨場感が何とも言えない。私は雷蔵以上の内匠頭役を知らない。
 また吉良の仁吉(映画の題名は「次郎長富士」)では、恋女房のお菊に三行半を突きつけるシーンが泣ける。このお菊は言わずと知れた若尾文子さんである。話が逸れるが、日本映画史上で雷蔵と若尾さんほどサマになるカップルはなかったと確信している。意外にも二人が一緒に出た映画は多くないのだ。残念なことである。そして話は戻るが、吉良の仁吉は白装束で敵を切りまくるのだが、最後、木の上に潜んでいる敵の卑劣な鉄砲で撃たれて絶命してしまう。もうこの場面などは、見ている方が辛くなるのである。昔、家族でこの映画をテレビで見ている時、雷蔵が撃たれるシーンを見ていた母親が、悔しがって雷蔵を鉄砲で撃つ男を、画面を拳で叩こうとしていた。要するに雷蔵を見る者は彼と一体化していたのである。
 先日久しぶりにBSで眠狂四郎をやっていた。実は若い頃、私はこの映画あまり好きではなかった。イヤらしい場面が多すぎるのである。何か不健全な毒キノコのような感じがした。しかし改めてこれを見るとやはり雷蔵の立ち姿の美しさにはあ然とする。不世出の美剣士であったことを再認識させられるのである。 
 ところで、雷蔵は立ち廻りに難があった。以前このコーナーで登場した友人の競馬博士が雷蔵のファンで、「松原、雷蔵って、殺陣上手いか?」って真面目に私に聞いたことがある。「下手だろう」と答えると、博士の言が傑作だった。「やはりな、あれじゃあ、円月殺法使わないと、勝てないよ」 だった。まあ剣劇スターにしては、立ち廻りがなんだかへっぴり腰であった。 嘗ての時代劇スターの片岡知恵蔵や阪東妻三郎を持ち出すまでもなく、ほぼ同年代の中村錦之助やさらには勝新太郎に比べても大分遜色があった。
近大相撲部に通っていたというから、下半身を鍛えたかったのであろうか。まあそれはそれだ。
 雷蔵は、亡くなる前、その顔を誰にも見せなかったという。美剣士スターの意地と矜持を最後まで持ち続けたのであろう。 しかし今でも彼の颯爽とした姿はファンの胸に刻まれているし、雷蔵祭りなどのイベントで新しくファンになる者もいるというから正に不世出のスターである。