世紀のバイオリニスト フリッツ クライスラー

 しっかり覚えていないが、去年の秋頃だったろうか。仕事で午後車に乗り、ラジオのNHKを付けた。すると、レギュラーらしいどこかの大学教授が、SPレコードをスタジオに持ち込んでいるところであった。何とその持ち込んだSPが、クライスラーの演奏する「ロンドンデリーの歌」であった。その教授は「今からこれを掛ける」といかにも嬉しそうに言うのである。なんと良いタイミングであろうか?何よりもクライスラーのこの演奏を知っている人がいるというだけで感激であった。そして流れるSP、私は感涙に咽いだ。運転が危うくなるほどに。しかも、鼻水も出始めて困ってしまった。信号でようやく涙と鼻水を拭いた。私はこの演奏、CDで持っているが、SPで聴くのは初めてだ。太く暖かい音色でクライスラーの魅力満開であった。事務所に帰って、早速、CDで聴き直してみたが、SPの方が感動的であった。
 何が言いたいか?要するにクライスラーという人は聴く者を泣かせるほど素晴らしい演奏家だということである。
 この人の演奏には全く気負いがない。大体が、暖かく且つ甘くしかも淡々と弾くのである。この「甘く」と「淡々」とは普通両立しない。甘く弾けば思い入れが強くなり、淡々とはいかない。しかし、この人はあくまで、品良く淡々と弾くのである。そして彼の演奏を聴く者は、この「淡々」の行間を自分の情感で埋めて、更に甘くしたり、辛くしたりして大いに喜び、且つクライスラーと一体となるのである。こんな演奏家はもう出まい。19世紀のウイーンでのみ出現した個性なのではなかろうか?
  いつも思うのだが、「昼の憩い」というような音楽番組があれば、正にぴったりの人だ。
また彼は、芸術家にありがちな気むずかしさとは無縁の人であった。若いピアニストが緊張して伴奏のテンポを早くしてしまうと、それに合わせて自分も早く弾いたという逸話がある。写真を見ても、若いときは大変な美男子で、歳を重ねてからは堂々とした品の良い紳士だった。仮に隣近所に引っ越してきても違和感のない人だったのではないか。
 彼の演奏は、東芝EMIから「クライスラーの芸術」というCDが出ているので、これを聴くのが手っ取り早い。そこに漏れているものでは、パガニーニのバイオリン協奏曲第1番第1楽章を収録した盤などがある。この演奏はまるでウオルト・ディズニーの世界のようなファンタスティックな編曲と演奏で中々素晴らしい。
 私はクライスラーなら何でも良いというほどファンなのだが、何曲か挙げてみたい。独断なのは許された。
 まず何と言っても、ベートーヴェンのバイオリン協奏曲だ。私はこの曲が大好きで、実は、この曲そのものをブログのテーマにしようと思った程である。
 この曲、ベートーヴェンにしては珍しく穏やかで幸福感に充ち満ちている。作曲当時、恋をしていたというから、その幸福感からだろうか。いつもの、激しくダイナミックなメロディーを押さえて、ひたすら淡々と歌い上げる。出だしのティンパニーの4連打からして、幸福の扉を開くような静かな安堵感がある。
 一時(いっとき)この曲に凝って何人もの演奏家を聴き比べてみた。結論はやはり、クライスラーの演奏がベストだという確認になった。この曲、第1楽章は、内に秘めた高揚感を少しずつ積み重ねていくような感じで、これが最後のカデンツアで結晶する。正にこのカデンツアはベートーヴェンのラブレターそのものだ。しかしベートーヴェンはシャイで不器用だったのか。自分でラブレターを書かなかった。この何分間かを演奏家ベートーヴェンに代わって作曲し(つまり手紙を書き)、彼のいとしい人にラブレターを届けるのである。古今の名演奏家がこのカデンツアを書いたが、クライスラーのものが断然素晴らしい。多分ベートーヴェンも満足しているのではないか。私は、この一点だけで、彼がいかに素晴らしい演奏家でしかも作曲家であるかが分かると思う。ところでこの演奏、1926年盤と1936年盤の2種類ある。前者の方が評価が高いが、如何せん、音が悪すぎる。ちょっと我慢の限界を超えている。後者は十分聴く耳に耐えられる。
 ついでに他の演奏家の名演を挙げてみたい。独断は許されたい。
まず筆頭はヤッシャ・ハイフェッツが1940年にカーネギーホールで録音したものだ。この演奏、恐ろしい程緊張感に満ちた快演である。指揮がトスカニーニだから尚更テンポが速い。こんな名演はもう出まい。しかしこの曲本来の持ち味とはやや異なる気がする。あくまで「ハイフェッツの不朽の名演」である。一般には1955年のシャルル・ミンシュが振った盤が有名だが、音の悪さを我慢すれば断然1940年盤が良い。
 ところでハイフェッツは、その超絶技巧で長くバイオリンの王者として君臨していた。彼が12歳そこそこでライプチヒで行った演奏会を見に行ったクライスラーが、同席のジンバリストに「僕も君もバイオリンを膝で叩き折って壊した方が良さそうだね」と語ったほどである。
次は、アルテュールグリュミオーの1957年盤。
 クライスラーの演奏を上回るものを探し続けた私は、この演奏家ならひょっとするとクライスラー以上かもしれないと推測した。そこで川崎の同業で音楽好き・スポーツ得意のI・T氏に話してみると、彼はその演奏を持っていて、1957年盤と1966年盤の2枚をプレゼントしてくれた。早速聴いてみた。こういった推測は何となく当たるもので、期待に違わず名演であった。特に1957年盤が良い。しかしグリュミオーらしい伸び伸びとした躍動感が何となく欠ける気がする。尚、この同業のCD収集は素晴らしい。私が持っていないものを、何度もプレゼントしてくれた。スポーツの方も元気で続けて貰いたいものだ。
 次は、定盤ながら、やはりメンデルスゾーンの協奏曲だ。この曲を初めて聴いたのは小学3年生位で、演奏はメニューイン、鮮明に記憶している。何しろこの曲は、「クラシック音楽とはこれだ」と言うべき超有名曲だ。覚えない方がおかしい。ところでクライスラーの演奏、冒頭から泣いている。これが堪らなくいい。それも演歌のように泣きじゃくるのではなく、ウイーンの貴婦人がすすり泣くように、あくまで品良く端正に泣くのである。特に第3楽章の終わりなど、官能的と言いたいくらい艶っぽい。
 実はこの曲、クライスラーの他にも気に入っている演奏がある。1958年、アイザック・スターンが弾き、オーマンディが振ったものだ。伸びやかで艶やか、バイオリンの音色も音量も十分、もう最高に素晴らしい。
 ついでにブラームスのコンチェルトも挙げてしまおう。この曲、元来あまり人気がなかったらしい。何しろ地味だから。それを彼がアメリカで1シーズンに20回も弾いて有名にしたという逸話があるくらいだ。またこの曲を初めてレコードに吹き込んだのもクライスラーである。他にオイストラッフのが気に入っていたが、以前このブログで書いたジネット・ヌブーを聴いた後は、彼女のものを愛聴している。
 さて、こんなに一人の演奏家のことばかり書くと読む人も飽きてくるので、そろそろ終わりにしましょう。
 そこでぜひこれだけは挙げておきたい。ベートーヴェンの「スプリングソナタ
この名曲、クライスラーの演奏は正に自然体の生命賛歌。他のどの演奏家よりも素晴らしい。今日から春も四月になったので、この曲を久しぶりに聴いてみよう。
追記:冒頭のNHKの番組にはよほど縁があるらしい。今年になって、偶々車のラジオを付けたら、例の教授がちょうどレギュラーを降りる日であった。リスナーからの手紙がたくさん来ていて、ぜひSPの特集をして欲しいということであった。嬉しい限りである。
この有名教授の名前は、残念ながら忘れてしまった。