不沈戦艦武蔵

ここ数日、新聞紙上で武蔵の発見記事が記載されている。これを読むにつけ、以前、仕事でお会いした老婦人のことを思い出す。もう十年以上前のことであった。
 ある自治会の会長が、登記手続きの依頼に来た。内容は「土地を寄付して貰うので、その手続きをして貰いたい。尚、所有者たる地主は、この件を了解している。書類等の授受に行って貰いたい。」ということであった。
 数日して、指定された場所へ行った。ビルの奥の一室の広いスペースに案内された。品の良い老婦人が出迎えたくれた。この方が寄付者である。早速名刺を差し出し、自己紹介をした。広い部屋のソファーの上に、大きな写真が飾ってあった。見るともなく目にすると、巨大な軍艦の写真であった。甲板に天幕が張ってあり、記念写真であろうか、正装した軍人が威儀を正して、写っていた。私はすぐこの軍艦が分かった。「〇〇様、武蔵ですね。」と言った。老婦人は大いに驚き、「よく分かりますね。知っている人でも大概、『大和』、と言いますよ」と仰った。大和型戦艦の一番艦が大和で、二番艦が武蔵である。見ても区別はつかないが、当時の連合艦隊の旗艦は武蔵であった。また、旗艦は艦上で行事(これは妥当な言葉ではないかもしれないが許されたい)などを行う為に天幕を張るので、武蔵だと分かったのである。撮影の場所まで当てた。「トラックですか?」と。先の大戦における連合艦隊の基地はトラック島であった。老婦人は更に驚いていた。 それから、老婦人の話が始まった。ご主人が海軍士官で武蔵に乗っていた。結婚したばかりで、横須賀に武蔵が停泊しているとき、妻を武蔵の近くまで案内して、「『見ろ、この武蔵を。不沈艦だ。絶対沈まないから、安心しなさい。』と言われた。この巨艦を見て、夫の言葉にうなずき、安心していた」と仰った。 しかし、武蔵は沈んでしまった。運良く助かったご主人は、「一度なくした命だから」と、この商店街の建設に心血を注いだ、、ということであった。
 いずれにしても、戦中・戦後の激動の時代を生き抜いた人達は、偉いですね。この写真は、二人の輝かしい青春の思い出なのでしょう