競馬博士との友情(そして、さらば愛しのジェンティルドンナ)

私は昭和45年以来の競馬のファンだ。若いときは少し馬券を買った。しかし、もう40年以上も馬券を買っていない。見るだけで十分だからである。ただ常に見てきたわけではなく、何年かの断絶がある。この資格の受験時代や開業準備中などは競馬を見る余裕もなかった。だから真のファンとは言えないかもしれない。そのあたりは許されたい。
 私が競馬に興味を持ったきっかけは、昭和45年秋の毎日新聞の記事であった。ふと見ると、そこにスピードシンボリがクリシバに敗れたことが書いてあった。毎日王冠は、毎日新聞の出す賞なので、普段あまり取り上げない競馬の記事を大きく掲載したのであろう。それが珍しくて私の目にとまったのだろうか。
 スピードシンボリとは、当時老雄と言われた強豪であったが、既に馬齢8歳という、並みの競走馬であれば全盛期をとっくに過ぎた年齢になっていた。逃げるクリシバを捕らえ切れずに2着に終わったこと、ピークを過ぎたのではないか、などと書かれていた。私は何となくこの記事が気になり、当時共に予備校に在籍していたW君に尋ねた。「12月の有馬記念スピードシンボリ勝てるのか?」とである。W君は「駄目だろう」と素っ気なく答えた。 このW君こそ、その後生涯の友となり、現在私とは別の士業で活躍をしているW氏である。
 当時の私が通っていたのは、京急線の日の出町駅すぐ近くの「山手英学院」という予備校であった。予備校生というと何か暗いイメージであろうが、私たちは全然暗くなかった。近くにパチンコ屋があり、時々授業の前後にパチンコをした。映画館もあった。当時は、横浜ピカデリーという大きな映画館が伊勢佐木町にあり、馬車道には横浜東宝という洒落た映画館があった。また、いかがわしい映画を上映する映画館も多数あった(断っておくが、そういう映画館に好んで通ったことはない)。少し歩くと伊勢佐木町の商店街があり、ここは歩行者天国になっていて、田舎者の私は都会の雰囲気を満喫した。今でも伊勢佐木町は何となく好きだ。
 そういえば、予備校の同じクラスの女の子を好きになって、一度デートをしたのだが、翌日交際を断られたこともあった。今思えば、青春真っ只中だったのである。
 予備校の授業も充実していた。高校生の頃はあまり勉強をしなかったし、正直授業も面白くなかった。しかし予備校は違っていた。授業が面白いのである。特に英文解釈・英作文と古典が良かった。私は大学に入ってからもこの予備校でアルバイトをした。今でもこのとき知り合った仲間達とのつきあいが続いている。現代国語の先生には結婚式にも出て貰った。
 当時の若者のはやりと言えば、映画、競馬、麻雀ぐらいであった。私は麻雀をやらないが、あちこちに雀荘があった。 そして、何より予備校の近くには場外馬券売り場がある。競馬にも勢い興味を持ったのである。
 このW君は、やや変わっていた。ニヒルな風貌で、授業にもあまり熱心でない。しょっちゅうサボる。たまに出てくると、「クイープが俺を呼んでいる」と言って、パチンコ屋へ行ってしまうといった具合であった。クイープとは近くにあったパチンコ屋の名前である。そして何よりも彼は競馬に詳しくて、高校生の時からやっているようであった。正に筋金入りであった。
 そして迎えたグランプリ有馬記念、忘れもしないが、私は固唾を飲んでテレビを見ていた。この日ばかりは受験勉強を忘れていた。どん尻を進んでいたスピードシンボリが3コーナーあたりから、師走の中山独特の芝生が荒れたガラ空きのインコースを通ってぐんぐん進み、直線で逃げるアローエクスプレスをあっさり交わし、先頭に立ったのである。外からアカネテンリュウとダテテンリュウ が猛然と追い込んでくるが、首差届かなかった。この競馬は素人でも分かる素晴らしくドラマチックな結末だった。当時の私は感激するのみであった。この日の夕方、スピードシンボリは万雷の拍手の中で引退式を行ったのである。
 翌日、予備校に行くと、W君が「野平ってキザだな」って、こともなげに言うのである。何がキザなのかさっぱり分からないので、理由を聞くと、「馬手にムチを投げた」というのが理由であった。私には全く分からない世界だった。「自分が分からないことを知っている者」には興味と尊敬を感じるのが人の常である。この頃から、W君とは急速に仲が良くなった。  ちなみに「野平」とは、野平祐二という当時のスタージョッキーである。華麗なフォーム、フェアなレース運びで人気絶大であった。私もその後「祐ちゃん」こと野平祐二の大ファンになった。
 そして二人とも何とか大学に入った。私は中央、彼は法政であった。しかし、あんなに勉強をしなかったW君がなぜ合格したのか、正直私は釈然としなかった。その合格を祝福しながら、「なぜ受かったのか?」と聞いてみた。彼の答えは傑作だった。「試験終了間際に閃きがあり、解答をほとんど書き替えた」これがドンピシャだったというのである。やはり、日頃競馬で鍛えた鋭い勘は半端ではなかったようだ。
 大学に入って、W君との友情は深まるばかりであった。一緒に競馬場にも足を運んだ。またよく彼の家へ泊まりに行った。元来私は出不精で他人の家に泊まるなどまっぴら御免である。枕が変わると眠れないタチでもあった。しかし彼の家は全くそういうことがなく、暖かくて何の気兼ねもなくくつろげた。夜もよく眠れた。そして家族同士も親しくなった。楽しく有意義な思い出である。
 その後私は、今の資格とは別の国家試験を目指し始めた。長い期間勉強をしていた。彼は企業に就職した。そして私はその試験を諦め、司法書士の資格を取って今日に至った。しかし、いついかなる時もW氏との連絡は取り合っていた。
 私が開業して何年か経った頃、何の風の吹き回しか、彼が会社を辞めて、ある士業の資格を取ることになった。あの勉強が大嫌いの男が、である。このあたりの心境は深く聞いたことがない。しかし元来頭が良いのであろうか。すんなりその資格を取って少しして開業した。 私達の友情が更に深まったのは言うまでもない.
 最近、私は彼を競馬博士と呼んでいる。 そして、なるべく競馬を見る時間を確保している。競走馬は見ているだけで美しいからである。二人が会うと、まず競馬の話をする。ここ数年、強い馬が立て続けに現れたので話題には事欠かない。
 そんな中、近年稀な女傑が出現した。その名もジェンティルドンナだ。私が初めてこの馬を目にしたのは、平成24年のジャパンカップであった。東京の長い直線、あの怪物オルフェーブルと壮絶な叩き合いをして、競り勝ったのである。ぞっとするような強さであった。しかも可愛い牝馬である。もう一目惚れをしてしまった。しかしその後の彼女はやや気まぐれであった。 平成25年は、ジャパンカップこそ2連覇したものの、凡走も多かった。しかし昨年、ドバイでまた凄い走りをした。直線、前がふさがって絶体絶命であった。何となんと、蟹が這うようにスッと横に出て、アッと言う間に先行の2頭を瞬時にして抜き去ったのである。何という凄さ。天馬かと思った。
 そして迎えた充実と集大成の秋。しかし、期待の天皇賞は2着、3連覇を狙ったジャパンカップは4着だった。このときは、私は実に40年ぶりに馬券を買った。例の山手英学院のアルバイトの後輩にして悪友のM君(しかも、同じ市内に住んでいる)も競馬好きで、彼に買って貰ったのだ。休み明けの天皇賞を叩いて万全の仕上がり。前人(前馬)未踏の3連覇で引退、と期待したからであった。馬券は儲けの為ではない。彼女を支持した証を取っておきたかったからである。しかし負けてしまった(この外れ馬券大事に取ってある)。なぜ勝てないのか。なぜあの爆発的な末足が不発なのか? 例によって、競馬博士に尋ねてみた。すると、「遠征疲れ(ドバイへの)で体調を崩したんだろう。牝馬は体調を崩すと中々立ち直れないよ」と言うのであった。引退するのか?残念だ、と思った。すると引退を延長して、有馬記念に出るというのだ。博士は、「もう名声に傷をつけるので出さない方がいい」と言った。
 彼は、いつも有馬記念だけは馬券を買うので、「俺のも買ってくれ」と頼んだが、意外にも「嫌だ」と言うのである。「何でだよ、どうせ買いに行くんだろう」と言っても、「ノー」であった。未だに理由が釈然としない。
 私は心配で仕方がなかった。調子が下降気味な上に、中山は初馬場しかも冬の中山は芝生が荒れるといった悪い条件ばかりである。何よりも強豪が他にも5頭ばかり出る。私は正直勝てないと思った。しかし、彼女の最後の勇姿を目に焼き付けておきたかった。私も博士も、優勝はエピファネイアだと予想した。あと、ゴールドシップも侮れなかった。
 しかし、である。やはり、ジェンティルドンナは不世出のヒロインであった。レースは、スローペースで淡々と進んだ。好位置につけていた彼女は、直線早めに抜け出したエピファネイアを難なく捕らえ、追いすがるゴールドシップやジャスタウエイの追撃を振り切り、断然1着でゴールを駆け抜けた。私は思わず涙が出て、すぐ博士に、「勝ったよ」と電話をしてしまった。博士は、「良かったな」と静かに言った。「ゴールドシップが巻くって来たときはもうダメかと思ったよ」と言ったら、「いや、足色が全然違っていた」とあくまで冷静であった。やはりジェンティルドンナは強かったのだ。
 そしてこのいとしい稀代の名牝は、数万のファンに見送られて静かにターフを去った。ピンクの帽子が実に可愛らしかった。
  昭和45年にスピードシンボリ引退試合で見事に優勝したのを見て感激して以来、ちょうど45年経った。今思えば、私とW氏の友情の橋渡しをしたのはこの偉大なスピードシンボリであった。そして、私と博士との揺るぎない友情もちょうど45年が経った。有り難いことである。 
 ありがとうスピードシンボリ、そして、さらば愛しのジェンティルドンナ