最後の将軍徳川慶喜の苦悩増補改訂版の執筆を終えて

ようやくタイトルの執筆を終えた。あとは出版を待つばかりだ。ホッとしたがやや気が抜けてしまった。

 今回は大政奉還以降の状況について初版で書き足りなかったことを補足するのが主たる目的であった。そしてこの目的はほぼ達成され、その意味では満足している。

 しかし冷静に振り返ってみると、今更ながら、慶喜の政治行動の基本理念は何であったのだろうか?と考える。それこそが鳥羽伏見で周囲はたまた後世からの批判を顧みずに敢行した大坂城脱出の根底にあったものではないか。筆者は敢えて小著でそれを書かなかった。読む人が必ずそこに行き着くと思ったからである。

 ではそれは何か?やはり「国益」だったのではないか?慶喜の行動原理は国益の遵守だったと考える。当時、日本近代化は国是であった。徳川と薩摩・長州はそのヘゲモニー争いをしていただけなのである。鳥羽伏見で一敗地に塗れた慶喜は、悔しいがヘゲモニー争いから離脱したのである。その彼の決断を突き動かしたのは、結局国益の遵守だったと考える。それは武家の意地とか徳川家の護持とかあるいは漠然とした尊皇思想などそんなレベルの話ではない。だから慶喜は後世の批判などあまり恐れていなかったのではないか。

自分の名誉を捨て、大多数の批判を浴び、後世までも残る汚名を承知で国益を守った徳川慶喜はやはり偉大な敗者そのものである。